アリスカルディア数秘術☆生命数秘術ブログ

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有名人・偉人リーディング ① 虚空の巨人 南方熊楠・考

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虚空の巨人・南方熊楠・考
有名人・偉人リーディング vol.1

 

定期的に、占いサイトらしく(笑)

有名人・偉人のソウルマンダラ・リーディングをアップしていこうと思います。

 

第1弾は、

生誕150周年記念で 国立科学博物館で特別展

南方熊楠・100年早かった知の人』が開催されるなど

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特に今年は、各所で様々なイベントが行われている

あの知の巨人、南方熊楠氏を取り上げてみようと思います。

 

 

 南方熊楠氏は、明治時代、日本人で始めてネイチャーに論文が取り上げられ

大英博物館にも勤務した超天才にして怪人。

(現在もNature掲載論文数は単著としては日本人1位)

 

多国語に長け、

粘菌や菌の研究者として知られますが、その視野は広大無辺。

科学全般、哲学、民俗学歴史学、心理学、セクソロジー、比較宗教論に及びます。

 

 

高野山真言宗管長で、当時最高の学僧、土宜法竜(ときほうりゅう)氏

書簡で交流していたことも知られ、そこに残された、真言密教のマンダラを

独自の自然観・科学・哲学的眼差しで再解釈した『南方マンダラ』も知られています。

 

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また、明治政府の神社合祀(神社を整理し減らす合併政策)に対し

それによって鎮守の森が失われると猛反発。

 

エコロジーの概念 を、日本で最初に唱え社会運動を起こし

高級官僚で遠野物語の作者でもある柳田邦男の支援も受けて

故郷・和歌山の自然と信仰を守り、また、神社合祀を収束に向かわせた。

 

世界遺産熊野古道が現在に残ったのも、熊楠の活動がきっかけ。

 

こう書くと随分立派な人物ですが、その一方、助平で大酒飲み、

喧嘩早い上に、いつでも嘔吐できて、必殺のゲロ攻撃を得意技にしたとか?!

 

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また、研究対象の標本を求めて、熊野の森を半裸で駆け回り

昭和天皇に直々に粘菌の標本を献上する機会を与えられた際

その容器がキャラメルの空き箱だった、などなど

破格の逸話で知られる自由人です。

 

 

matome.naver.jp

 

妖怪博士の故・水木しげる氏も、惚れ込み

思わず漫画化しまう人物なのですが、今回は、

そんな偉大なる怪人を数秘術で読み解いてみようと思います。

 

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破天荒すぎるその生き方は、

果たして数秘では、どのように現われているでしょうか?


 

熊楠のソウルマンダラ



1867年 5月18日



ソウルナンバー

ブロックマインド

ライフマスターナンバー

 

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広大な “ 空 ” 人



さて南方マンダラならぬ、ソウルマンダラを見てみましょう。

 

▶▶▶アリスカルディア数秘術|ソウルマンダラと心数について


熊楠と言えば 自由・豪快・研究・探求 が際立った人物。


行動のみならず、思想も単に情報量が膨大なだけでなく、

 

考察も深く、強い外向性と、


それに比敵する深い内向性を持った人物です。


極端な二面性 が、本人の中では矛盾することなく


シームレスにひとつとなり、それが捉えどころのなさを醸し出しているようです。

 

ソウルマンダラを見ると、やはりその極端さが見事に現れていました。

 


・ソウルナンバー(もって生まれた資質)

・ブロックマインド(偏りやすい性質)

・ライフマスターナンバー(人生の目標)

 



主要な場所にしかありません。

また、全体としても、

ソウルマンダラの下に赤いがふたつあるだけで

他は22)が目立ちます。

さらに22は、の性質との性質を併せ持つので

をさらに強調しています。




心数は、自由・冒険・囚われのなさ がキーワード。

過剰(陽)に極端に傾くと、反社会性やルール無視の型破りな性質が顕著になります。

よく言えば囚われない人柄ですが、周囲は苦労が絶えません。

でもの人は、弁舌が軽快でユーモアがあるので、憎めないところがあります。




熊楠の場合、がブロックマインド にあるため

陽か陰に傾きますが、チャート全体でもの傾向が強いので、陽に傾きがち。




一方では、勤勉で職人や研究者に多い資質です。

情報や技術を蓄積し、体系化し、効率よく扱います。

細部にも目が行き届き、頭がいい人が多い反面、頑固。


 

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熊楠の大英博物館にこもり、偏執狂的に書物を写し、

まとめ上げている、内向的な様子にの資質が強くあらわれています。

熊楠は、も過剰(陽)気味に働いています。




しかし、は静で型を重んじ、は動で型破り、と真反対の性質です。

この両者を持つ場合、通常は、どちらかが陽で片方が陰となります。

それが振り子のように交互に交代して複雑な性格になったり、葛藤しがちです。




熊楠のように、それがどちらも陽として現れるのは珍しく、まさに怪人たる所以です。

そして、それを可能にしているのが、調整作用として働いていると思われる

ソウルナンバーとライフマスターナンバーのなのです。




という数は、12 など

足した相手の数になる。




どんな数を足しても、相手を写す鏡のようになります。

別の言い方をすれば、全ての数の性質を内包します。

多面的で柔軟、懐の深い数です。




熊楠は、なので、を極めるのが本道と言えます。

哲学的視点を養い、人間や宇宙、命の本質に目覚め、またそれを啓蒙していく。

個を超えた理想や全体の調和を探求していく数です。




派手で型破りなの陽)や、過剰な探究心(の陽)が

目立ちますが、その本質はなのですね。




全ての数を含むが本質だからこそ、を同時に強く打ち出して

危ういながらも独特のバランス感覚で

見事に才能を発揮された人物と言えるでしょう。

 

が潤滑油になってもいたのです。


また でもあり、

全体の数の仕組みとしても調和しています。

 


なにより熊楠の魅力は、多数の標本の作成や新種の記載といった(の陽)も

さることながら、科学の論法を使いながらも、霊や妖怪についても論考し

自然科学を超えて、死生観も含んだ自然観から、

壮大な独自の宇宙観を完成させた、哲学性にあります。

 

 

その集大成が南方マンダラであり、これと

神社合祀を止めて、日本の自然と信仰を守った姿に

見事なの表現を見ることができます。

 

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ひとつ惜しむらくは、ブロックマインド

もう少しバランスが取れていたら

さらに大きな社会的仕事を達成していたかもしれません。



実際に、生前はその振る舞いから、

実力に伴った充分な評価を得ていた、とは言えなかったようです。



ソウルマンダラの第三サイクルと第四サイクルの下側に

1(自信と評価の数)が二つあることからも、それが暗示されています。



しかし、熊楠はそのかわりにの反対であるを激しく燃焼させることで

独特のバランスを取り

個性的なスタイルで人生を生き切ったとも言えるでしょう。



の過剰だからこその魅力。それを高いレベルでまとめ上げる

どこまでも自由だからこそ広がる、壮大な宇宙観。

 


伸びやかな空(SO-RA)を象徴し

(KU-U)を象徴する数でもあります。

 

 

日本が生んだ知の怪物は、彼が研究テーマとして愛した粘菌のように

アメーバーやナメクジのように活動的に生きたかと思えば(

じっと動かない、キノコのような子実体の姿()となるように

でもそのどちらも粘菌)であるような、そんな捉えどころのない

まさに、どこまでも広がった、空(KU-U)なる人物なのでありました。

 

 

 熊楠は、やはり特徴的なソウルマンダラですが、仮に同じマンダラだったら

同じような生き方をするかと言えば、もちろんそうではありません。

 

のハーモニーで

どんな曲を奏でるかは人それぞれ

 

大切なのは、ソウルナンバー⇒ライフマスターナンバーが

しっかり表現されていること。

そしてブロックマインドが、それを支えていること。

 

そうであれば、どんなソウルマンダラだとしても、

その人独自の個性が輝き

熊楠のように生き生きとした人生となるでしょう。

 

数秘的年表トピックス 抜粋



年運   始まり

年運   展開・変化

年運 8  結果



の年を中心に一部抜粋。

才能を開花した偉人・有名人は、
動くべき時に動き、チャンスをしっかり掴みます。
それが、よくわかるのではないでしょうか。


1886年12月22日(年運・月運・日運)日本を離れ渡米。日本最後の日。

1893年 (年運)ネイチャーに「極東の星座」を論文として初寄稿。

 大英博物館に出入りするようになる。

▷1895年(年運フレデリック・ヴィクター・デキンズ(日本文学者)と知り合う。

 大英博物館で東洋図書目録編纂係としての職を得る。

▷1899年(年運) 同一人物を殴打 博物館から追放。

しかし、学才を惜しむ有力イギリス人の嘆願書で復帰。

▷1900年(年運大英博物館問題が再燃し出禁 日本に帰国。故郷・和歌山に居住。

▷1902年(年運) 熊野にて植物採集 田辺を永住地と定める。

▷1904年(年運) 田辺に家を借りる。

▷1911年(年運柳田國男との文通が始まる。

▷1913年(年運柳田國男、田辺で初めて面会。以降深い関わりとなる。

▷1929年6月1日 (年運・月運・日運) 昭和天皇に田辺湾神島沖の戦艦長門艦上で進講。粘菌標本を、キャラメルの空き箱に入れて天皇に献上する。

▷1935年12月24日(年運・月運・日運) 熊楠の活動により神島が国の天然記念物に指定される。

▷1941年12月29日(年運11・月運・日運) 自宅にて永眠。田辺市稲成町の真言宗高山寺に葬られた。

 

 

 

 

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